「こわれゆく女」を元町映画館で観た

こわれゆく女 (1974年 ジョン・カサヴェテス)

タイトルからは女のひとがだんだん狂気に蝕まれていく様子を描いた映画かと思っていたのだけれど、観た感想としては、女のひとが最初から頭おかしい様子を延々描き続けている映画だった。原題はA Woman Under the Influenceだから、徐々にこわれゆくというわけでもないようだ。

水道工事員の夫と、子供達がいて、その奥さんの狂気を描いているらしい。狂気を描く場合、普通のやり方としては狂気じゃないひとを描いて対比させると思う。でもこの映画の場合、まともな神経のひとが1人も出てこないように見えた。

奥さんははじめからヒステリックで、子供を送り出したかと思うと子供に会いたいと言ったり、とにかく支離滅裂な行動をとっている。それに対する旦那さんの反応が、僕には意味がわからなかった。支離滅裂な行動をとっているのだからさっさと精神科を受診させるべきなのに、支離滅裂な行動で対応していて、キャラクターとしても崩壊しているのではないかと思った。

奥さんの頭がおかしいということは周知の事実として描かれるのに、いかにも労働者といった職場の同僚を何人も家に招いて奥さんにスパゲティを作らせたり、頭のおかしい奥さんだけで他人の子供を預かる話になったり、奥さんの退院パーティーを大々的に開いたり、わざわざトラブルになりそうな行動ばかりしている。旦那さんも頭がおかしいとしか思えなかった。労働者の荒っぽさでそのへんの繊細なことがわからないという描写なのかなと思って見ていたけれど、そういうわけでもない様子。

精神科の医者も家まで来るわりには何もしないし、何もしない割にはいきなり鎮静剤を注射しようとするし、行動に一貫性がなかった。途中までまともそうだった姑も最後には意味の分からない行動に出るし、子供たちは明らかに発狂しているお母さんを怖がらないし、不自然な点が多すぎて感情移入できなかった。

ひとりもまともなひとが出てこない中で狂気を描くというのは、地に足がつかない感じになるのだなと思った。フィクションのリアリティは振れ幅で判断するのであって、標準がどこかわからないと、狂気が普通になる。

発狂した奥さんがチャイコフスキー白鳥の湖を踊るシーンは良かった。白鳥の湖を踊るのが発狂している象徴的なシーンとして描かれるのだけれど、登場人物全員が発狂しているから、白鳥の湖を踊るのは逆にまともな行動に見えた。

妻と夫の関係みたいな繊細な話をするには、登場人物の行動が意味不明すぎたと思う。全体的になんとなく不安な感じを出したかったのかもしれない。ちょっと僕にはわからない映画だった。


WOMAN UNDER THE INFLUENCE trailer - YouTube