アルバイトと私1

 アルバイトをしたいと思い始めたのは高校生の頃で、その頃は学校で毎日大量の課題を出されていたおり、時間の余裕がなかった。浪人生活でも何度かアルバイトをしようと探したことはあったが、やはり浪人特有の焦燥感とプレッシャーがあり、実際にはできなかった。大学生になっても1年生は必修単位だけで週6日学校に行く必要があり、理工学部の課題量と、往復4時間近くの通学時間に阻まれて、なかなかアルバイトというわけにはいかなかった。

 大学3年生になると取得すべき単位も残り少なくなり、平日の時間に余裕ができた。そこでアルバイトを始めようと本気になり、いろいろな業種に応募し、面接を受けた。条件は平日の夕方から夜まで働けること、土日はどちらか休めること、通える範囲にあること。塾か飲食店がやはり多かった。僕はひとより3つ歳をとっているので、おそらくそれが災いして、いくつもの候補に蹴られていった。

 スシローに面接をお願いする電話をかけたとき、学年と年齢を聞かれて、「そんなやつ雇うわけがない」と一方的に切られてショックを受けたのを覚えている。寿司を握るのには年齢が重要らしい。

 東寺みなみ会館の近くにある塾では体験授業をするまでいったが、塾長が竹刀を持っており、他の講師を正座させて追い詰めていたので、こちらからお断りした。事務のアルバイトのひとが死にそうな顔をしながら手すりを雑巾で拭いていた。

 京都駅の北側すぐの居酒屋で、時間に遅れて面接に着席した店長に第一声で「会った瞬間大きな声で名乗らないのは元気が足りない、お前のような人間は他でも誰も雇わないから帰れ」とダミ声で怒鳴られたのが最悪の体験だった。言葉遣いはもっと汚かったし、フィーリングカップル用テーブルがある居酒屋はこちらからも願い下げだったが、それからは元気をなくして、インターネットで求人を探す気が失せた。

 結局、日曜日の新聞に挟まっている求人広告で近所の個人経営塾が講師を募集しているのを知り、面接していただいた。3年の浪人は大目に見てもらえたのか、それとも塾長と同じ高校出身だったのが幸いしたのか、あっさり採用が決まった。採用決定の電話を受けたとき、なかなか信じられなかったのを未だに覚えている。ありがたいことだから給料分以上の働きは必ずしようと心に決めた。

 つづく。