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アルバイトと私2

 アルバイト先に決まった塾は家から自転車で5分で、1対1もしくは1対2の個別指導、スーツを着る必要がなく、報告書の量が少なかった。塾長は若く、丸坊主頭の仏のような方で、何でもほぼ自由にさせていただけた。お給料は当初80分1コマ授業1対1で1600円、1対2で1800円だった。大手の相場に比べて少し高かった。採用まで他の企業に認めてもらえなかったことから一転、好条件だったのでギャップに驚いた。3年ほど前にできたての塾で、僕はアルバイトとして第2世代に当たった。入れ替わりで第1世代が就職のため辞めていき、当初から主戦力で週3日入れた。フル稼働しているときで講師5人程度、一部屋の小さな塾だ。

 教える相手はメインが公立中学に通う中学生、ときどき小学生や高校生だった。僕が通っていたのと同じ中学の生徒がほとんどだったので、学力も学校の授業の内容もだいたい想像がついた。学校で真ん中くらいの学力の生徒に、1対1で数学や英語を教えるのがメインだった。僕の通っていた中学で真ん中くらいの学力というと、将来的には専門学校や短大に進むひとが多数派で、高校で頑張れば四年制大学に行けないこともない、というくらいだ。生徒たちは皆よく気を使ってくれて、お話が苦手な僕でもそれなりに雑談をしてもらえた。それぞれの生徒にそれぞれの特徴があったが、家族の影響を色濃く受けているようだった。学力においてはさらに顕著に、家族の学力程度そのままという場合が多くて驚いた。環境の違いは僕が思っていたよりも強力だった。

 授業にあたっては代ゼミで受けた授業が役に立った。僕は科学の姿勢を代ゼミで初めて習ったと思っている。特に1次関数を教えるのが好きで、得意だった。生徒に「傾きって何のこと?」と尋ねると、ほぼ全員が「a」と答える。aはただの文字だ。傾きの定義から教える必要があった。中学校の教員がまともなことを教えていないので、本当のことを少し話すだけで面白がってもらえたし、理解は急激に進んだ。何のことはない、「関数」の意味と「傾き」と「切片」の定義を理解すれば、他に勉強することなんてほんの少しなのだ。こういうやりかたはもしかすると点数に結びつくまで時間がかかるかもしれないが、そんなことより大事な、将来育つべき種を植えることができたと思っている。

 大変だったのは、生徒にちやほやされて、調子にのらないようにすることだ。僕の通っていた高校は田舎の公立の中では一番の進学校だったので、中学生の生徒からは秀才扱いをされて、気を抜くと調子にのって偉そうにしてしまいそうだった。塾が自由な風土だったので、高校でまともに勉強しなかったことや、追試常習だったことを正直に話した。それでも調子に乗りそうだったので、自分では一人称を「先生」と呼ばないように「僕」と言った。先生先生と言われていると、自分でも気づかない間に調子に乗ってしまう。自分が生徒だった頃、教員がやけに偉そうぶっていた理由が少しわかった。

 受験勉強のために来ている中学生達が志望校に合格するかどうかは、たいして気にならなかった。公立信仰があるのは田舎だからで、私立のほうが環境は良いかもしれないのだ。そんなことより、将来的に頭に残る、科学の考え方を教えられるかどうかのほうがよっぽど気になった。子供たちが言うように、どうせ彼らのうちほとんどは将来の日常生活で因数分解なんて使わないだろう。しかし、因数分解を学ぶことで得られる科学の考え方の本質は、将来必ず役に立つと思う。それを伝えようとして、その場しのぎの安直な教え方はしなかった。口下手な部分は多々あったと思うが、僕が中学校のとき、こういうふうに教えてもらいたかったな、という方法で教えられたと思う。同じような教え方ができるひとはきっと多くないし、時給以上の価値を提供できたと思いたい。