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明らかな事実

 STAP細胞の小保方氏の学位が、猶予はあるものの取り消しの方向に動いているようだ。科学にはルールがある、と僕は思う。「実験ノートが無い」という事実は科学というゲームの上では重大なルール違反であり、その時点で信憑性はゼロになる。シンプルなルールにシンプルな答えであって、追試験の必要は無いと思う。そもそも実験ノートが無い結果を実験で確かめるのは、追試験とは言わない。科学の研究をしたことがないと知らないかもしれないルールだけれども、それはサッカーで手をつかったらいけないのと同じくらい、当たり前のルールだ。

 これは明らかすぎる例だけれども、科学の研究というのは、そんなに明らかなものではないということを最近思っている。医学、製薬、バイオ関係なんかの影響力の大きい研究では追試験もされるが、影響力の小さい研究では追試験はほとんど行われない。証拠を集めて論理的に主張するのが論文であるが、集めた証拠の正当性を判断することは極めて難しい。

 というのも、論文には証拠をどうやって集めたかが書いていない。もちろん大雑把には条件が書いてあるが、実際真似して実験してみると、あまりに情報量が少ないことに気がつく。STAP細胞の論文の捏造は写真でわかったが、数値の捏造なら気づくこともないだろう。誰も追試験しないなら永遠にわからないかもしれない。

 論理的に組み立てた主張かどうかの検証ならできるかと思いきや、これも難しい。その分野のことを一通り知っておかないと判定できず、細かく枝分かれした研究においては、完全にその研究を理解できるひとが本当に一握りになる。論理的かどうかを判別できるひとが世界に数十人しかいないのに、その限られた人々は非常に忙しくて、論文をじっくり読んでいる暇がない。査読というシステムも、さほど機能していないようだ。

 さらに、捏造でないにしても、物事の良い面だけを切り取って論文にすることは可能だ。論文では悪い面を検討する必要はなく、良い面の良さを明らかにできればそれで良い。実際にそんな論文はたくさんある。調べたら都合が悪いことは、調べなければ載せなくて済む。

 だから研究は信用ならない、というわけではなくて、何かを頭から信じることなく、常に疑いながら研究を進める必要があるということが言いたい。当たり前と信じていることは、意外と脆弱な地盤の上に乗っかっている。自分の目で見るまでは、目で見ても、簡単に信じてはいけない。