2015年のお正月

 2015年あけましておめでとうございます。もう三が日も終わってしまって、正月気分もあまり残っていない。2015年にもなると未来だなあと感じるはずだ、と予想していたけれども、意外とあっさり受け入れてしまって、気分はもうすっかり2015年である。ずっと前から2015年だったような気もする。毎日使っているiPhone6に2015年感があるからだと思う。

 2014年の終わりのほうは信じられないくらい運が悪く、また忙しさで憔悴しきっていたため、この年末年始は体と心を休めることに専念した。つまり何もしない。神経症に森田療法というものがあり、何もしない状態を続けると自然と何かしたくなるという方法論で、ある程度妥当性を感じる。最初は何かしなければと焦って空回りしていたが、今はようやく現実のペースと肉体と精神のペースが同調してきたように思う。紅白歌合戦を見ていたら年が明けた。中島みゆきは歌がうまかった。家族でテレビ番組を見るのは楽しい。

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 我が家のおせち料理である。いつからか重箱に入れるスタイルではなくなった。餅は丸い。棒鱈というのは地方特有の料理なのだろうか。

 2015年も毎年と同じく、親戚が集まって宴会をした。いとこの甥っ子姪っ子が4人もいて、みんなにお年玉としておもちゃをあげた。お年玉がもらうものからあげるものに変わり、感慨深い。子供達は非常に活気があり、頭が働き、予想外のことをする。大人になると予想外のことをするひとは少ない。宮﨑駿は「子供の仕事というのは、つまらない大人になることなんですよ」と言っていた。僕はもう大人なので宴会で飲み過ぎることもなく、終始ニコニコしていた。去年の飲み会で鍛えられて宴会に強くなっていたようだ。つまらない大人になったものだ。

 1月3日には近所の神社に初詣に行って、おみくじをひいた。末吉で、良くも悪くも書いていた。「学問 危うし全力を尽くせ」が気になるが、「願い事 驚くことあれどあわてねば叶う」だから最終的には良くなるということにしておいた。これまで不運でためていた分くらい良いことがあってもいいだろう。

 2015年も、2014年と同じく毎日頑張っていれば、良い年になると思う。種は植えてすぐには花を咲かせないものだ。毎日水をやることが肝心なので、水やりを欠かさないようにしたい。かといって大人しくなりすぎても面白く無いので、たまには予想外のことをしてみたいと思う。毎日楽しく暮らして、しっかりした成果をあげられる年にしよう。